ジョン松本のビートルズ川柳カルタ

   
       




 サンキング 千年後にも いらっしゃる? 
2000.3.7

 ジョンレノンが唄う「サン・キング」とは、いったい何のことであろう。ただ単に太陽のことかしら? 我々にとって、また、全ての命あるものにとって、神よりもなお尊とく、ありがたい、お天道様の詩なのだろうか?

 私はこの曲が大好きである。短いサラっとした曲ではあるが、よく聴くとそれはまるで、生きている喜びに充ちあふれ、いや、もっと深い。宗教的なもの、神聖なるものをさえ私は感じてしまうのである。思わず合掌してしまう程である。完璧な芸術である。

 さあ、皆さんも一緒に「サン・キング」を聴いてみましょう。さっき私はさぞおおげさに、神聖だの合掌だの芸術だのと言っていましたが、まあ、そうかしこまらずに気楽に聴いてみましょう。

 アルバム「アビー・ロード」の10番。さっそく再生ボタンを押してみましょう。おっとっと、いきなりギターのフレーズから曲が始まってしまいましたね。これはいけない。曲の区切りが10秒遅いのです。お手数ですが、9番「ユー・ネヴァー・ギブ・ミー・ユア・マネー」の3:56まで巻き戻していただきましょう。

 虫が鳴いております。真っ暗な草原で何やらこれは鈴虫なのでしょうか。虫の声っていいですねえ。張り詰めた気持ちがすうっと楽になり、落ち着きます。虫がうたい続ける中、ギターの音が入って来ます。いい感じですねえ。真っ暗だった空が少しづつ、段々と明るくなっていくようでもあります。ニッポンの夜明けを感じますなあ。やがて、空に浮かんでいる雲や向こうの山もうっすらと見えてきます。ああ、風も見える。新聞配達少年、今日もありがとう。ご苦労様。ジョンの朝の散歩。そうして、朝の柔らかい光が私を、海を、山を、街を優しく、愛撫しています。そして、聖歌の合唱です。

 Ah-(このアーは、ついに日が差した喜びの声ではないだろうか?)
 Here comes the Sun King
 Here comes the Sun King

 Everybody's laughing
 Everybody's happy

 Here comes the Sun King

どうです。サン・キング。なかなか、芸術点の高い崇高な曲ですよねぇ。

 幸福よ 不幸とともに カムトゥギャザー 
2000.6.5

 今、私は間違いなく幸福の中に生きている、と思うことが生きていて何度かあります。しかし、油断なりません。幸福の影にはいつも意地悪な不孝が無気味に潜んでいるものなのです。しかし、安心して下さい。不孝の影では幸福が微笑んでいます。

 今までに自分が経験した幸福と不幸。その多くが、いま思えばたいしたことない小さいものだったと思えませんでしょうか。大きい幸福や小さい不孝は、一種の突然変異、津波のようなものなのでありましょう。

小さな不孝を覚悟して、小さな幸福を呼ぶ。これこそが無難な生き方なのかしら。

 今、不孝のどん底に生きておられる方、今にきっと、大きな幸福がやってきます。
もう少しの辛抱です。がんばって。

 今、この上ない幸福の中に生きておられる方、イッヒッヒッヒッ......

 スキあらば 抱きしめたいのよ スキならば 
2000.6.5

 私は「抱きしめたい」でビートルズの虜となったのです。もう離れられないのです。出会いは中学二年生の時でした。曲を聴いてたいへん興奮いたしました。

 その頃の私はこう見えても比較的おしとやかで、趣味は華道と絵画でございました。中学二年の夏休みのある日、お友達の野村さんのお家へお伺いいたした時のことでございます。(野村さんは私と違って、とても活発で、はきはきして、えくぼの可愛い元気な方でございました)ああ。その時でございます。彼女が1枚のレコードを持ち出してターンテーブルにそーっと乗せまして、針を置きまして、そうして、あの曲が流れ出したときに、私は生まれ変わり、理屈ではなく、科学ではなく、私はあの曲に抱きしめられ、侵されてしまったのでございます。

こんな、イカした、なうい、ああ、すごい、いい、こんんなの、わたし、はじめてよ。

I WANT TO HOLD YOUR HAND(あなたの手を握ってみたい)
なのに「抱きしめたい」なんで、わたくし、ハラハラさせられますわ。

 精一杯 愛のことばを 考える 
20007.3

THE WORD」という曲をご存知でしょうか。「ラバー・ソウル」に入っています。
三回ほど(お暇な方は何度でも)聴いてみて下さい。歌詞カードにも目を通して下さい。いわゆる「いい曲だ」というものではありませんが、ギター、ベース、ピアノ、ドラム、オルガン(かな?)、マラカス、ヴォーカル、コーラス、愛のすばらしさを説いている詩、リズム、すべてに最先端の輝きを見い出すことができるでしょう。
これであなたも「愛のことば」の餌食となるでしょう。

<ある男の手記>

私はモテない。待っていても、私に好意を示してくれる女は現れない。したがって、私の方から目当ての女に好意を示さねばならぬ 。とりあえず、デートの約束でもしようか。
油汗流しながら、悪銭苦闘。でも、どうやら、なんとか、デートの承諾を得る。しかし、ここからが大変だ。いろいろシュミレーションしておく必要がある。どこへ連れて行こうか。何を話そうか。どんなギャグを言おうか。予算は大丈夫か。何を着て行こうか。
 まずは場所。私は保津峡が好きである。保津峡にしようかしら。しかし、あそこは何もない。川と山があるだけだ。女は退屈かもしれない。奈良にしようかしら。、もし彼女が鹿を嫌っていたら大変だ。鹿、鳩、 水族館を嫌う女は以外に多い。要注意である。ありふれているが仕方がない。無難なエキスポランド(遊園地)にしておこうか。
会話はどうしよう。私は無能で無学である。しゃべりが苦手である。世間をしらない。これまでにも、無気味な笑顔を讃え「人間ってさあ、不公平だねぇ」などと言ってしまって、女の笑顔を引きつらせたことがある。言葉は爆弾だ。何も言わずに黙っていよう。男は黙って空を見てればいいのさ。「黙っているからモテないのでは...?」(松本後日記)。
 次はギャグ、これが一番難しい。「君、ビートルズってシットルズ?」これでは、女は眉間にしわを寄せ仁王のような表情で帰って行くに決まっている。「そば屋はないかなぁ。あっ、すぐそばや」「ジェットコースターでひざをチョットコスッター」なんてねぇ。
やっぱり、黙っていた方がいいようだ。「黙っているからモテないのに...」 (松本後日記)

デート前日になると私は、不安やら、緊張やら、変な期待やらで、動物園のトラのごとく部屋の中を右往左往し、寝不足、朝寝坊、約束に一時間遅れて女の姿はない。もし、待っていてくれたなら、その時は、きっと、きっと、生まれて初めて心の底から「ありがとう」と言えるだろう。しかし、どうせ彼女は消えている。

私は、一人で近鉄に乗り、奈良へ行き、鹿と遊び、大仏の優しいお顔を眺めながら、愛の言葉といかしたギャグを考える。

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